ソロモンの戯言

僕が誰かということじゃなく君がどう生きているかに寄り添いたい

右に左に。夏の終わりにしがみつこうとする蠅のごとし

忙しいってことばを 使いたくないんだ

忙しくないわけじゃなくて むしろその逆で

でもこれを忙しい忙しいっていうと

自分のことを追い込んでしまう気がして

 

バタバタさせてもらっている

忙しない日々をおくらせてもらっている

ガチャガチャしている

 

どれでもいい

どれでもいいけど

忙しいというワードから少し 遠ざかりたい

 

蠅のごとし。

劇は生き物である

劇は生き物である。

 

毎日同じ台詞を喋り

毎日同じ音楽を演奏し

毎日同じ演者が登場、

毎日同じ受付係の劇場で

 

毎回違う答えが出る。

 

これは非常に面白い。

 

だってそれは生きているということとほぼ同意義なのだ。

服を着て、髪を整えて、息をしながら人前に出て行く。

そこに存在しているだけで意味があるのに、その意味を深く考えろと急かすことなくそこに在ること。

 

これが生きているということでなければなんだというのだ。

 

劇は生き物である。

立派な生き物である。

ドラゴンよりも形がなく

魔法よりもリアルで

そこに生命が流れている

生き物であった。

 

 

放置しちゃったやっちゃった

なんかショックなことが多くって

忙しさも相まって(おかげで助けられたところいっぱいあるけど)

1か月も放置しちゃった。あーんショック。

 

出来ることなら続けたいし

毎日更新したいって思うんだけど

お仕事がお仕事だから致し方ない部分あったりして

合間に書いてもいいんだけど

なんか携帯電話の調子がよくなかったりもするし

 

でもいい!今日からまた書けばいいのー!

反感を恐れずに言えば、イケメンは世界を救うし巨乳は承認欲求の具現化だと思う

でぃーん・ふじおか。

最近めっちゃ好き。(笑)

 

演技は正直、ファンのわたしから言ってもそんなに上手くない気がする。

でも、抜群にイケメン。抜群に画になる。そんな人って久しぶり。

爽やかすぎて全部が作りものに見えちゃうくらいにはカッコいい。

演技が下手だからこそくさいセリフもどストレート以上にストレートに聞こえて

恥ずかしいの極みがすぎて、一周まわってキュンとできる不思議。(笑)

 

笑ってもカッコいいし

止まっててイケメン、

喋ってなくてもいい男

…そんなの現実世界に存在するんだ!!って思うよね。

 

はぁー。

実際の本人はどんなもんなんだろ。

海外生活長いと必然的にオープンな感じ

ボディタッチとかキスとか特に意識せず出来るんだろか。

…できそうだなー。やばいなー。そんなでぃーんはやばい。

 

 

ふふふ。

イケメンは世界を救うってのは本当だと思うそんな明け方。

 

 

わたしはソルジャー。そして、またここに新たな同志が。

ちょっと濃いめの顔のイケメンと

昨日の夜仕事終わりにお茶してきたんだけど。

5,6年以上前から知ってるし

一時期ちょっといい感じではあったんだけど

今は別にどうということもなくって

ただ、最近になってまた会う機会が増えているの。

 

わたしもそうなんだけど、どうやらあちらさん

心理セラピーに通っているみたいなのね。

ちょっと仕事で海外に行っていたんだけど

その3年くらいの間に色々あったらしくって

なんだか自分が壊れちゃったらしいんだわ。

お金とか人間関係とか嫉妬とか

そういうものにばかり囚われて生きていたらしくて

生活のリズムだってそりゃもう酷かったらしい。

でもそういう世界がそもそも好きというか

ジッとしていられない性分にぴったりはまってしまう

だからドラッグとか夜中心の生活とか

そういうことにのめり込んでボロボロに疲れて戻ってきて

それで落ち着こうってことで通いだしたらしい。

 

ヨガを始めたんだけど、これはきっといいぜー

って何回も言ってくるの(笑)。

アルコールもなるべく飲まないようにしてるんだって。

別にアルコール依存症だったわけでもないんだけど

アルコールとかタバコとか

そういう小さなものが全て昔の生活に繋がって

ふとした瞬間に呼び起されちゃうから禁煙・禁酒中なんだと。

…まぁその感覚は分からないでもないよね。

大丈夫になってきたと思っても

ふとした瞬間、気を緩めたつもりがなくても

その場所の空気とかふっとすれ違った人の香りとか

色んなことが引き金になって自分のコントロール外のところから

エネルギーが溢れ出してきてしまうということは確かにある。

それが良いエネルギーならいいんだけど

いつもそうとは限らない。

 

昨日話していてもやっぱり落ち着きがなくて

ソワソワしてるしキョロキョロしてるし

バシバシ叩いてニコニコしたかと思えば

またソロソロして急に立ち上がったりして。

昔よりも確かに落ち着きがなくなってるなとは

前回に会った時に感じたんだよね。心配になって。

それで今回またお誘いしてみたんだけど。

 

人間は弱いんだよね。みんな誰でもそういうとこあって。

それを隠したりちょっとさらけ出したり

人それぞれ方法があって向き合い方があって

でも治すとか治さないとかそういうことでもない。

それがあるということを認めるところから始めないといけない。

 

がんばってるんだな、闘ってるなって思いました。

わたしも闘ってるけど、彼も今闘ってる。

だから今、私たちの距離が近いのかもしれないとも思う。

同志っていうか。同じ目に見えない敵を相手にする者同士。

自分の中にある大きな真っ黒いものに

すり寄っていくのかなぎ倒そうとするのかはたまた

真っ白いペンキでもぶちまけて見えなくさせてしまうのか。

わたしたちの戦いはいまやっと始まったばかりで

この先いつゴールが訪れるのかは誰にもわからなくて

だからこそ支えが必要で時に話せる相手が欲しい。

 

我々は皆、ソルジャーなのだ。

 

がんばろう、無理せず。

 

 

国際的も愛国主義もこんなに遠いところにあるだなんて初めて知ったっていうはなし

俺の家にはテレビがない。

テレビがないと、生活のリズムは乱れにくい。

いや、もともと結構乱れているから

テレビごときで大きく変わることもない、というのが

本当のところではあるが。

 

俺の家にテレビがないことは、

これといって大きな問題になりはしない。

映画が見たければ映画館に行くし

どうしても見たい映画があればパソコンがある。

しかし、だ。

 

この時期になると話は少々変わってくる。

 

オリンピック、である。苦笑

 

そのシーズンごとに国民的スポーツや

有名なスポーツ選手が移り変わるこの国において

オリンピックというのは注目すべき最たるもので

普段馴染みのないスポーツや

そういう小規模なりにも頑張っている選手に

光が当てられる大事な時期、瞬間であるといえる。

そして、メディアのそのお祭り騒ぎに

国民はものの見事に乗せられるのだ。

気持ちがよいくらいに乗せられる。

 

よし、応援しようじゃないか。

おお、誰だあのルーキーは。

有終の美を飾れるのかベテランは。

最後にひと花咲かせるのか否か。

見てみたら可愛らしい選手だな。

…注目すべきポイントも山ほどあるし

競技の数も山ほどある。

 

…だからこそ、困る。

ついていけないのだ。苦笑

話題に全く、着いていけない。

たとえばイチローとかホンダとか

そういうの選手たちの名前は俺が一人暮らしを始めて

テレビと寝食を共にしなくなる前から知っていることだ。

だから、テレビがあろうとなかろうと、

ヤフーニュースやなんかでチラと見れば

話題に全くもってついていけないということはない。

ゴロウマルは、ほんとにギリギリついていったが(笑)、

今年のオリンピックに限ってはもう、お手上げである。

 

別に誰かに合わせた生き方をしたいとか

話題に乗り遅れないようテレビを買おうか検討しているとか

そんなことは一切ない。

だが、時々取引先との簡単な挨拶だとか

あまりかかわりはないが朝たまたま顔を合わせた同僚や先輩と

「たわいもない話」をする際にこのスポーツの祭典は大変便利なのである。

いや、…なのである、というよりは、のようなのである。

 

昨日のあれ、見ましたか。

ねぇ、凄かったですねぇ。

実は僕昔、○○をやっていて、

えぇ、そうなんですか!

…なんて会話が先週のうちにも2,3回はあった。

そういうときの俺はもう本当に、蚊帳の外以上に蚊帳の外で

菩薩に限りなく近い表情を作りながらその場で頷き

へぇ~とかほぉ~とかえぇ!なんて音だけを発して

必死のコミュニケーションを取っている。

 

だから俺にはこう思えてならない。

オリンピックというものは

テレビのある生活をする者のためにこそある、と。

そして俺は今現在、

ブラジルと日本の距離以上に

オリンピックとの精神的距離を感じながら生活を送っているのである。

間抜けな時差。