ソロモンの戯言

僕が誰かということじゃなく君がどう生きているかに寄り添いたい

夏の終わり

今週のお題「夏うた」

 

って書いてあるから書くことにしたけれど

わたしの頭の中にまず思い浮かんだのは

森山直太朗の「夏の終わり」

 

…夏うたって響きだけ聞くとこれから盛り上がっていこうぜーー!

って感じがするのに、わたしの脳内は夏が終了していたという…

 

ちーーん。

 

でも8月半ばくらいにはもう、この歌が聴きたくなってくるのだ。

 

四季の基準は昔は少し違っていたそうだね。

8月はたしか、秋の換算になるのではなかったかしら。

とすると、夏の終わりは実は7月だったりするのかなぁ…とも。

 

なんで「夏の終わり」が頭の中に響いたのかなと掘り下げて考えたら

昨晩これまた急に森山直太朗氏のうたが聞きたくなって

何気なく開いたYouTubeを前にぼくは固まってしまったのだ。

アーティストというのは、こういう人のことを、いうのだろうと。

安っぽい言葉でも、ありふれた愛のことばでもなくて

本人が書いたであろうその詞ですらもはや、何かからのメッセージであり

彼を通してきっと、大きな何かが伝えたいことがあったのかなと

そんな風にも思えてしまって。

聴く、というのではなくて、聞き入ってしまって。

 

生きとし生ける物へ

 

凄かった……

 

 

いやいや。感慨に浸っている場合ではないな。夏うた、だったな(笑)。

 

無難なところでいくと、

夏色(ゆず)、Over Drive(ジュディマリ)、夏祭り(Whiteberry)、上海ハニー(オレンジレンジ)、夏の日の1993……夏祭り以外はカラオケでもいつも歌ってる定番なのでもはや夏でも冬でもバチコーイ案件ではあるが

とにもかくにも、夏のうたって明るい、そして、その明るさの中に切なさや少しばかりの照れくささや寂しさを残すから、非常に人間味があるなと思うわたしなのです。

 

あーカラオケ行きたい。